2010年10月2日土曜日

祭り・その2

地元「井草八幡宮」の祭りが実質昨日(宮神輿の渡御は3日の日曜日午後1時から)で終わった。今年は、自分の丁場の屋台で演奏する囃子より、お宮での奉納囃子の時間の方が長かった。他の丁場の方と一緒に囃子をするため緊張感があり良い経験になった。
地元の祭り囃子の流派は、私が属する「西林流速間(はやま)囃子」と「田淵流中間(ちゅうま)囃子」がある。その歴史は中間の方が古いという。しかし、現在残っている連中(グループ)は、速間の連中の方が多いようだ。
祭り初日の宵宮(よみや)には、奉納囃子を互いに行った後、懇親会が行われ一緒に酒を酌み交わしながらひと時の懇談をした。そして皆が、後継者不足を一応に感じている。現在の長老たちが囃子を習った時は、仕事以外の余暇の楽しみはそう多くなかったと聞く。したがって、夜に囃子の練習をしながら地元の仲間と話し、酒を飲むなどが数少ない楽しみの一つであったようだ。
近年では、楽しむための方法は無数にある。そして、家業を継ぐなど地元での仕事から会社勤めの人が大半になっているため、人付き合いも地元以外が多くなっている。必然的に夜に皆が集まって囃子の練習をすることが難しくなって来ている。更に、一人抜け二人抜けと、連中の人数も減る一方である。
最近は、小学校と調整して小学生への囃子指導があちらこちらで行われるようになっている。ただ時代を反映して、高学年になると塾や別の習い事などに時間が振り分けられ、囃子から遠ざかる子が増えてなかなか定着しないのが現実である。更に、それなりに囃子が出来るようになっても、社会人になり転勤などとなれば離れてしまう。お雛様の人形飾りに「5人囃子」があるが、5人一組を育てることは今の時代大変困難な状況である。
お宮で参拝客を前に囃子を演奏すると、とっても多くのギャラリーが集まり喜ばれる。お祭りには、お囃子が付きものであることを皆は知っていて、威勢の良さを求めているのであろう。一囃子(ひとはやし)終えて多くの人の拍手を浴びると、この伝統芸能を地元の多くの先達たちが次の代に引き継いできたのであり、この先も井草囃子を絶やさぬように精進するとともに後継者を育てることが私をはじめとした現役に求められていると感じる。

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