2013年8月1日木曜日

平和都市宣言25周年記念式典

みなさま、こんにちは。

暑中お見舞い申し上げます


さて、今日から8月、夏本番となりました。でも何か夏らしくない夏ですよね。気温だけは確かに高温となり、熱中症という言葉が当たり前のように聞かれるようになりました。

パキスタンの夏は、軽く50度を超えると記憶しています。随分昔の事ですが、タクシーに乗ったら暑いのにエアコンが無く窓は閉め切りになっており、たまらず窓を開けたら熱風が押し寄せてきて、慌てて窓を閉めた覚えがあります。そんな国でも、ラマダン中でさえ熱中症で倒れる人を見掛けませんでした。確実に東京は熱帯化していると思います。このままでは困りますね…  まちを冷やすことを真剣に考えなくては。

本日は、私が公園緑地事務所の所長時代に整備した、天沼弁天池公園を会場として「杉並区平和都市宣言25周年記念式典」が行われ、私も区議会議員として出席いたしました。

今回の式典、とても良かったと思います。何がというと、通常の挨拶はともかく、10年前に埋設されたタイムカプセルを開き、複数の方のメッセージをご本人に紹介していただいたり、地元の小学生や中学生がカプセルに入れる未来に向かってのメッセージ紹介、そして、桃2小の早朝合唱・合奏クラブの児童による歌と演奏があり、暑い中でも式典の時間を気にせず参加できました。来られていた多くの方々も同じような感想を持たれたと思います。

そして公園内にある池には、平和を象徴するかのようにカルガモのヒナ11羽が母鳥と一緒に楽しそうに泳ぎ回っていました。



杉並区の平和都市宣言を紹介します。

「杉並区平和都市宣言」


世界の恒久平和は、
人類共通の願いである。
いま、私たちの手にある
平和ゆえの幸せを永遠に希求し、
次の世代に伝えよう。
核兵器のなくなることを願い、
平和都市を宣言する。

昭和63年3月30日
杉並区


この平和都市宣言を行った背景には、昭和29年(1954年)ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験により、近くでマグロ漁を行っていた「第五福竜丸」の乗組員が放射線被ばくを受け、その後死者まで出たことがきっかけとなり、出来たばかりの「杉並区公民館(現在の荻窪体育館の場所)」を拠点にはじまった原水爆実験禁止署名活動は、その後全国に広がり2000万人を超える署名を集める空前の平和運動へと発展しました。
こうしたことから、荻窪体育館前には原水爆禁止運動発祥の地を表す「オーロラの碑」が設置されています。