2010年9月27日月曜日

風土に合った落葉樹、葉っぱに感謝!

遅れた秋の長雨がやってきた。それと共に気温が一気に下がり震えるぐらい寒く、身体が気温の変化について行けていない。あの暑かった夏の疲れがどっと出てきそうで怖い。
家の前にある桜は、早くも葉が紅葉し始めている。私を救った木陰を提供してくれた木々が、季節の変化を敏感に感じとり、冬に向かっての態勢を整え始めている。次には、落葉樹の紅葉の時期になる。そしてその次には、多くの人に嫌がられる落ち葉の時期がやって来る。春の花見と同様に秋の紅葉狩りと、人は身勝手なものだ。私には、樹木に感謝する時期であり、家の前を竹ぼうきで掃く時期だ。
最近のまちの緑化を見ると、落葉樹よりも常緑樹を植えるケースを多く見かける。これは落葉を意識しての植栽傾向だと思う。しかし、常緑樹と云えども落葉しない訳ではなく、一時期に集中して落葉しないだけで、古い葉は一年を通してパラパラ落とすものです。東京特に杉並などでは、本来落葉樹が風土に合った樹種であり、代表格のケヤキが良好に育つ環境が私たちも健康に暮らせる生活環境であると云われている。
ところが、こうした地域に目新しい樹種や強剪定に耐える樹種、病虫害が少ないなどの外来樹種を植えることにより、本来の生育地では無かった様々な事柄が起きてくる。その一例として、今は沈静化したがアメリカシロヒトリの大発生がある。最近では、アメリカハナミズキの汚らしい「うどんこ病」、プラタナスの葉の汚らしい黄化の原因が「グンバイムシ」の大発生によるものである。
商業ベースで考えれば、売れることが大事であろう。しかし、土地土地の風土に合った物を研究し、在来の物を中心に改良するなどが必要ではないだろうか。花粉の出ない杉の開発など、問題の根っこを見誤らないようにしなくてはならない。それで森林が大丈夫なのか、林業は成り立つのか、大気汚染は解消されるのか…。
話は戻って、木陰を作ってくれた葉っぱに感謝して落ち葉掃きをする時期が来た。そして、また来春には新品の葉っぱを元気良く一杯出してもらいたい。葉っぱに感謝!

2010年9月20日月曜日

都市公園の維持管理

二日続けて公園を散歩している男性からZ公園の照明灯が点かず、管理事務所に話をしてもちゃんと対応してくれない、との話を聞かされた。照明灯は、照度基準に基づいて必要な灯数が設置されている。公園灯は、夜間の利用上、防犯上重要な施設である。
何時でも、誰でもが利用できる都市施設である都市公園は、安全でなければならない。こうした観点に立てば「直しを業者に依頼しています」「点かないことを知らせる貼り紙をしています」という説明では、公園を利用者の立場に立って維持管理をしていますと、胸を張っては言えないのではないか。よほどのことがない限り、臨時に点けっぱなしにしておくことはできるはずだ。そして、それを知らせる貼り紙では。
また、更にその男性は、公園を掃除するのに箒を借りようとしても、好い顔をされないと言っていた。本来、住民の物である公園に住民が維持管理にかかわろうというのであれば、どんどんお願いをして良いのではないだろうか。公園の維持管理、迅速性と住民との信頼関係を基に行われる事を望みたい。

2010年9月15日水曜日

日本の森林が外国の飛び地化している

近年、主要な森林地帯で外国企業などによる広範囲な森林購入が進んでおり、その問題性にマスコミなども気づき、一部報道をするようになった。土地の権原取得ではなく、所有権取得であることから、地表面の樹木だけではなく上空はもとより、地下の水をはじめとしたあらゆる資源も日本の思うようにならなくなってしまうのではないか。
国内の林業は危機的状況にあり、特に民有林は条件が良ければ相手を選ばず売り払っているようだ。…気が付いた時には、国土の森林の殆どが外国の飛び地になっているのではないかと、私ですら危機感を募らせている。
いっそ、都市の屋敷林を買ってくれないだろうか。ビジネスや価値観などから実現することはないだろう。しかし、日本人として、都市に暮らす住民としては、日本に愛郷心などない外国人とは違い、都市内の歴史ある屋敷林の価値などを理解し、保全するために行政予算を投入することへOKの意思表示はできるだろう。少なくとも、遠くの緑は素敵だし残そう、隣の緑は問題性だけに着目して要らない、などの個人主義は捨てようではないですか。さもないと、気が付いた時には都市の緑だけでなく山の緑もとんでもない状況になってしまいそうです。

2010年9月10日金曜日

町山を残そう!

近年、「里山」が注目を集めている。人の暮らしと自然が調和した環境、小川や田んぼ、雑木林などを含む丘陵地周辺を指して言われることが多い。カエルやドジョウ、メダカ、昔はホタルなども生息していたでしょう。林は、薪炭林として萌芽更新されるなど人の手が入っていました。当然、落ち葉も利用されていました。しかし、時代の変遷に伴い徐々に里山は山里へと後退して行き、私たちの生活から離れた存在となってしまいました。
「町山」この言葉は、ほぼ聞かないフレーズです。しかし、杉並でも半世紀前頃までは、屋敷林を「やま」と呼んでいました。裏(母屋の北側)のやまへ行って薪を拾ってきてくれ…。これは、私の育った地域なり場所だけで呼ばれていたとは考えていません。屋敷林は、南に開け、カキやユズなどの実がなるものが植えられ、東の一部には竹林、北・西はこんもりとケヤキやスギ、ヒノキ、イチョウが生え、更にはクリの林までありました。季節によりタケノコやクリ、銀杏など食物が採れていました。そして周辺から見ると、まさにこんもりと山のように見えていました。
これこそ、今の住宅地化してしまった町に今なお残る大切な自然的環境です。ビオトープという場所づくりがもてはやされ、水、トンボありきと考える方も多いと思います。こうした場所も都市では大切です。ただし、手を掛けずに野放しにしてしまっている所も多く、住宅地の中では問題化もしています。創り出した環境はその場所に適応するために変化します。それを踏まえて適切に維持管理をすることが必要です。このことを念頭に置いて創られることを願っています。
その点、何百年とその風土に合った状況で育ってきた「町山」=都市の森=都市内の「屋敷林」は、今の時代ですら「アオバズク」が飛来して初夏の夜遅くまで鳴いています。この町山こそが都市におけるビオトープであり、様々な生き物を育む貴重な場所で、周辺環境の維持・改善に重要な役割を担っているものです。どんなことがあっても、町に暮らすみんなの環境財産として屋敷林を守り、残さなければならないと考えています。

2010年9月6日月曜日

小学校の教室へのクーラー設置

猛暑日の連発により、9月の新学期に入って教室の冷房化が新聞やテレビでも大きく取り上げられている。学校を訪ねて教室で会議をするにも、とっても暑い。私が小学生であった時の記憶では、暑かったが特に気になるような事は無かった気がする。
色々考えてみると、一つは、校舎が木造であったこと。もう一つに、校舎が南向きであったが、大きな落葉樹が校舎に沿って列植され生い茂り、教室を木陰で覆っていたことを思い出す。今の学校の状況と照らしてみると、確実に今の方が夏の高温に対しては不利な教室となっていることが分かる。生活様式が変わった今、自宅にはクーラーがあり暑ければ涼しくして過ごしている訳で、学校では相当つらいだろう。
夏は、暑くて授業に集中できないなどから夏休みはあるのだろう。最近では、校舎への「みどりのカーテンの設置」「屋上の緑化」など、コンクリートで出来た校舎に直射日光が当たり蓄熱などすることを抑える対策も様々行われている。更に条件の良い学校では、校庭を緑地化(芝生化)することで気温上昇を抑えている所も増えつつある。
昨夏の政権交代に伴い、日本国として国内の地球温暖化防止対策の一環としてCO2等排出量を1990年比で2020までに25%削減を目指すと、国内をはじめ国際的にも果敢な目標を打ち出していた。さて、1年が経ち、あの時の公約は何処に行ったのか?そのための取り組みは…?
単に暑くて勉強できないから、と云うことだけで快適なクーラー設置教室を確保するのではなく、その快適空間を積極的に活用して日頃出来ないような学習をするのもよいと考える。暑いので夏休みと云うのではなく、休みを減らしてでもクーラー教室を活用し、「追い付け追い越せ」的に頑張っているアジア諸外国との国際競争に置いて行かれないためにも、大胆なこども教育を行う必要があると考えている。