2010年10月25日月曜日

生物多様性の保全など

このところ自然環境保全への取り組みが新聞などで大きく取り上げられている。なかでも、生物多様性の保全に関する取り組みがクローズアップされている。
特に、企業は、景気の低迷など経営に大きなダメージを受けている中での取り組みであるが、取り組み如何では企業イメージを大きく向上させることができる。そのため、積極的に様々な取り組みを進めている企業もある。
ただ、開発などのマイナス部分をどうしても何かで肩代わりさせようと考える傾向にある。他の取り組みを例に出せば、二酸化炭素の排出量抑制では、排出権取引によるすり替えやカーボンオフセットなる取り組みを生み出している。
生物多様性の保全に関しても、生物多様性オフセットなる考え方の導入が話されているようだ。なんでも金で解決しようというところに人間の人間らしさが出ていると思う。
国はどうだろうか?名古屋で行われているCOP10、どの様な新たな目標になるのか注意深く見守りたい。

(私個人としては、暗くなったら眠り、カメムシに食害された米を食べ、虫の食べた痕のある野菜を食べればよいのではないかと考えている。が、難しいだろうか…)

2010年10月18日月曜日

隠れた素敵な博物館

文京区本郷3丁目から歩いて直ぐにある博物館に行ってきた。歴史を感じさせる塀に囲まれ、敷地へ入る入り口の門も改修されているが昔の門も保存されている。そこは、天下の東京大学だ。敷地の外れに「東京大学総合研究博物館」がある。
今回の目的は、併設展「昆虫標本の世界~採集から収蔵、多様性保全まで~」と題した展示を見るために行った。
入館は無料だった。昆虫展は、思ったよりコンパクトにまとめられ、感想としては、じみだった。子どもや普通の方ならなるほどと思う展示である。なかでも、五十嵐コレクションはファーブル昆虫館で行われた特別展示を見ているので物足りなさがあった。
また、常設展は、古代人の人骨や土器、石器などが沢山展示され、これは一見の価値があるものだ。特別展は、「火星ーウソカラデタマコト」と題した展示がされていた。ここは、先日おおきく騒がれた「はやぶさ」まではいかないまでも、火星探査機や地表探査車両の模型等が展示され、火星がなぜ赤いのか?等の説明がされていた。一番驚いたのは、火星からの隕石が置かれており、大きめのスイカ程で持とうとしたがとっても重くて持ち上げられなかった。
こうした普通の人に知られていない(私だけなのかも)博物館が、まちなかにある事を発見した。そして、もっと多くの人が見学に行くとよいと思う。とても勉強になった。今度は、牧野富太郎博士が研究した東大で博士の展示をして欲しいものだ!

2010年10月8日金曜日

天候に影響される虫

めっきり涼しくなた。例年、この時期のサクラには、毛虫の食害で葉が付いていないことが多い。今年は、「モンクロシャチホコ(蛾)」の食害があまり無く、枝には綺麗な形の葉が一杯付いている。毎年、毛虫の糞が大量に落ちており、雨が降るとサクラの木の下は「アンツーカー」の様に赤茶になり汚らしい。
今夏は、猛暑日や真夏日の日数がこれまでの記録を塗り替えるなど、本当に暑かった。また、雨が一月近く降らないという異常気象でもあった。そのため、モンクロシャチホコの蛹や卵が羽化や孵化せず、大量の幼虫による葉っぱの食害が起きなかったと推察する。少雨現象の中、毛虫による葉の食害を受ければサクラのダメージも相当のもので来春の花の開花にも影響が出ただろう。
今年の蛾の発生状況から毛虫が少なく、土中に潜って蛹で越冬する数も少ないはずで、来年はモンクロシャチホコの発生は低調になると考えている。絶滅は困るが、大量発生しない程度に生息してもらいたいものだ。
困りもののもう一種類、ツバキ類に多く発生して毛でかぶれる「チャドクガ」の毛虫、2回目の発生時期が同様な天候であったため、同じように多くが死滅してくれているとよいと考えている。
私たちにいやな思いやダメージを与える虫、これらを「害虫」と呼んでいる。しかし、自然の中では生物多様性の一端を担っていることには間違いない。そして、害虫も主には数の問題で、多ければ害虫、少なければ問題視されないのである。
また、他の多くの昆虫もまた今夏の異常気象の影響を受けているはずで、本来東京に居ないはずのものが来年発生することがあるかもしれない。最近の例は、あたりまえになってしまった「ツマグロヒョウモン」や「アカボシゴマダラ」などのように、在来種の生息を脅かすような事が起きないことを願っている。
こうした虫の生息変化は、人間生活にもボディーブローの様に影響してくることを真剣に捉えなければならないと考えている。

2010年10月3日日曜日

井草のとっても素敵な神輿

今日は、心配していた天気も問題なく晴天となり、井草八幡宮の宮神輿の渡御(とぎょう)が予定通り行われた。各丁場から選ばれた神輿係が宮出しを行う。神輿の宮出しで私は名誉の鼻棒を担げた。

2010年10月2日土曜日

祭り・その2

地元「井草八幡宮」の祭りが実質昨日(宮神輿の渡御は3日の日曜日午後1時から)で終わった。今年は、自分の丁場の屋台で演奏する囃子より、お宮での奉納囃子の時間の方が長かった。他の丁場の方と一緒に囃子をするため緊張感があり良い経験になった。
地元の祭り囃子の流派は、私が属する「西林流速間(はやま)囃子」と「田淵流中間(ちゅうま)囃子」がある。その歴史は中間の方が古いという。しかし、現在残っている連中(グループ)は、速間の連中の方が多いようだ。
祭り初日の宵宮(よみや)には、奉納囃子を互いに行った後、懇親会が行われ一緒に酒を酌み交わしながらひと時の懇談をした。そして皆が、後継者不足を一応に感じている。現在の長老たちが囃子を習った時は、仕事以外の余暇の楽しみはそう多くなかったと聞く。したがって、夜に囃子の練習をしながら地元の仲間と話し、酒を飲むなどが数少ない楽しみの一つであったようだ。
近年では、楽しむための方法は無数にある。そして、家業を継ぐなど地元での仕事から会社勤めの人が大半になっているため、人付き合いも地元以外が多くなっている。必然的に夜に皆が集まって囃子の練習をすることが難しくなって来ている。更に、一人抜け二人抜けと、連中の人数も減る一方である。
最近は、小学校と調整して小学生への囃子指導があちらこちらで行われるようになっている。ただ時代を反映して、高学年になると塾や別の習い事などに時間が振り分けられ、囃子から遠ざかる子が増えてなかなか定着しないのが現実である。更に、それなりに囃子が出来るようになっても、社会人になり転勤などとなれば離れてしまう。お雛様の人形飾りに「5人囃子」があるが、5人一組を育てることは今の時代大変困難な状況である。
お宮で参拝客を前に囃子を演奏すると、とっても多くのギャラリーが集まり喜ばれる。お祭りには、お囃子が付きものであることを皆は知っていて、威勢の良さを求めているのであろう。一囃子(ひとはやし)終えて多くの人の拍手を浴びると、この伝統芸能を地元の多くの先達たちが次の代に引き継いできたのであり、この先も井草囃子を絶やさぬように精進するとともに後継者を育てることが私をはじめとした現役に求められていると感じる。