2012年3月12日月曜日

3月11日を決して忘れない!

西武新宿線上井草駅にて母校の中学生などと一緒に震災義援金のお願いをしました⇒

昨年の3月11日の午後2時46分は、杉並区桃井の青梅街道に面した場所に借りていた事務所で、4月に向けての予定などを考え組み立てていました。

建物がすごく揺れ始め、これは、と思い建物の外に飛び出ると、街路樹のイチョウが折れそうなくらい左右に揺れ、通行中の自動車もさすがに止まっていました。

長く揺れていたが、しばらくして、気持ちも落ち着いたため、事務所に入り地震情報をテレビで確認しました。自宅に居る子供が心配であったため、一度自宅に戻る。帰って驚いたのは、本棚の本が床に散乱し、食器棚の食器が扉と棚板の間に落ちて重なり、その力で扉が押し広げられたのか食器棚の前に割れて山のようになっていたことです。

子供は異常なく、割れ物を片付け、食器の破片を掃除機で始末して、ガスを復旧させました。そのあとは、近所のガスの復旧を手伝いに回りました。そして、震災救援所となっている小学校へ行き、保護者の迎えを待つ児童用の食べ物を作るためのプロパンガスの算段をして学校を離れました。そうこうしているうちに夕方となり、下の子が高校より帰宅したので夕飯を買い3人で事務所に行き、買い込んだお弁当で夕飯にしながらテレビで震災の映像を見てびっくりしました。あまりにもすごい状況なので自然と涙が出てしまいました。

子供も落ち着きを取り戻したため、二人を自宅に返し、妻が都心より5時間余りかけて歩いて帰ってきたのを迎える。そのころには、青梅街道も帰宅する人が列をなして通り過ぎていくため、事務所のトイレを開放して一時休憩できるようにしました。結構な数の方々が感謝しながら利用し、自宅へと向かって行きました。

つらつらと一年前のことを思い出しましたが、未だに私はあの時の東北の映像を見ると涙が溢れてきます。

昨晩のテレビの特集番組の中で、一人の漁師さんが、震災で亡くなられた知人の方々に「手を合わせない」と言ったことが大変印象的で、「自分の心の中に生きているからだ」と言ったのが私の心にとっても突き刺さりました。

私はほんの僅かなものしか失いませんでしたが、本当に多くの方が色々なダメージを受け、今この時も必死に立ち直ろうとしています。

あの時、決して忘れない!

多くの方の御霊に合掌




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